教会からのお知らせ

健全な教え テトスへの手紙第二章 (月報『菊名』No.60より)

第一章では長老について、そして第二章では年老いた男(2)、年おいた女(3)、若い女(4,5)、若い男(6,7)への勧めがあり、そしてテトスへの勧めがあり、最後に奴隷への勧め(9,10)があるという、それぞれの信徒を教え導く内容となっています。そこでは教会の秩序を健全に保つということが念頭に置かれています。そもそもテトスの仕事は一章五節に記されているように「あなたをクレタに残してきたのは、私が指示しておいたように、残っている仕事を整理し、町ごとに長老を立ててもらうためです。」というものでした。教会に長老を立て、その指導によって教会を整え、育てることがテトスの使命だったのです。さらには、教会は単なる組織ではなく、教会という組織を構成しているすべての人々に至るまでキリストの血が通い、神の恵みがいきわたるような生きた教会が目指されていたのです。そのためには教会の構成員をどう指導しなければならないのか、また個々がどのようでなければならないのかが重要なこととなります。

そのための手紙の中で繰り返し語られているのが「健全」という言葉です。一章九節、一三節に続いて今日の一節でも「あなたは、健全な教えに適うことを語りなさい。」と勧められています。健全という言葉はもともと心身が正常に機能して、健康であるさまを言う言葉です。身体が健康であり、元気で健やかということを、パウロはキリストの体である教会に当てはめ、キリストの体が健やかであることは、キリストの言葉を聞き、その教えに生きることによって健康が保たれると言っているのです。

その教えの一つ一つの根拠は「すべての人々に救いをもたらす神の恵み」(一一)によっています。続く一二節には「その恵みは、わたしたちが不信心と現世的な欲望を捨てて、この世で、思慮深く、正しく。信心深く生活をするように教え」るのですとあります。神の恵みは、信じる者を義とするだけでなく、義認から聖化の生活へと、その人の内に神の恵みが働いていることを証ししているのです。この手紙はそのように、信徒の健全な生活は神の恵みによってもたらされると教えています。

そういう意味では、キリスト者は背伸びをしてよりよい生活を自力で何とかしようとあがくのではないのです。むしろ、聖書を通して真の神の命に生かされることが大切です。そうでない限り、現世的な欲望に心の内が捕らわれている姿が自然と外に出てしまいます。内側の変化は、自分の力で何とかなるものではありません。それは救いをもたらす神の力によって、私たちを御自分の民として清めて下さる神の恵みによってなのです。

 

愛澤 豊重

(菊名 2020年10月号  No.60掲載)