教会からのお知らせ

キリストは永遠に ヘブライ人への手紙第一三章 (月報『菊名』No.57より)

「イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのない方です。」(八)と語られています。口語訳聖書では「イエス・キリストは、きのうも、きょうも、いつまでも変わることはない。」と訳されていました。この御言葉はヘブライ人への手紙の中でもよく知られている言葉です。よく知られているということは、その言葉だけで独立に受け止められやすいものです。では、どのような前後関係を持っているのでしょうか。

その前の言葉は「あなたがたに神の言葉を語った指導者たちのことを、思い出しなさい。」と言われていました。その後に言われていることを合わせてみると、その指導者たちはもうすでに召されていることが分かります。この指導者たちとは、受洗に導いた牧師かもしれません。あるいは、自分を教会に誘ってくれた友人、教会の中で励まし信仰に導いてくれた方かもしれません。そのような指導者が亡くなって、これからどうなるのだろうかと不安に思っている人がこの言葉の背景にあります。教会の中心的な指導者がいなくなって、教会が動揺していたのかもしれません。

しかし、その指導者の生涯の終わりをしっかりと見なさいと言われます。神に召されるまで信仰の生涯を歩んだ、その終わりをしっかり見ることは、その生涯の中心を見出すことが出来ます。それは、その指導者が語った言葉はイエス・キリストなのだということです。イエス・キリストこそ神の言葉の内容であり、人となった神の言葉そのものなのです。信仰の指導者たちのことを思い起こし、その生涯の最後を見つめることによって、私たちは昨日も今日も、また永遠に変わることのないイエス・キリストに出会い、イエス・キリストと共に生きることが出来るのです。

激しく揺れ動く時代の中で、その時代の嵐の中に巻き込まれ、不安と同様の中で変わることのない方を信頼し、この方に望みを託すことを、今日の御言葉は私たちに勧めているのです。

いま私たちは新型コロナウイルスの感染不安の渦の中に置かれています。しかし、教会の歴史の中では感染症との戦いを幾度も経験しています。宗教改革者ルターのいたヴィッテンベルクがペストのパンデミックに襲われたのは一五二七年の夏でした。選帝侯ヨハン・フリードリッヒはルターに避難を命じました。しかしルターは避難しませんでした。ヴィッテンベルクでの宗教改革の教会を形成するために、福音による説教と聖餐を執行し続けたのです。福音主義教会はペスト菌のパンデミックの只中で教会のなくてはならないものを追求し続けたのです。そこにイエス・キリストは臨在するのです。

 

愛澤 豊重

(菊名 2020年7月号  No.57掲載)