教会からのお知らせ
神に近づく ヘブライ人への手紙第一〇章 (月報『菊名』No.54より)
ヘブライ人への手紙はこれまで、主イエスがどのように偉大なお方であり、全生涯を通して人間として完全な服従を神に献げられ、十字架においてはご自身の身体をも献げることによって私たちを聖なる者とされたことを説明してきました。この一九節で大きく内容が変わります。これまでの神学的な説明に基づいて、ここからは、キリスト者がどのように生きればよいかということを語っています。
まず、二つのことを確信できると言います。一つは「わたしたちは、イエスの血によって聖所に入れると確信しています」(⒚)と言っていることです。これまで聖所に入れるのは祭司だけで、ことに神が臨在する至聖所に入れるのは年に一度大祭司が入れるだけでした。なぜなら、入れば死ぬからです。太陽を見ると目がつぶれるように、聖なる神の前に罪と汚れを持つ人間が立つことは出来ませんでした。それゆえ至聖所は分厚い垂れ幕で隔てられていました。イエスが十字架に架かり、その肉が裂かれたときに、この垂れ幕が引き裂かれたのです。神への道が開かれたのです。ですから私たちは、神様がおられる所に入って行けるようになったのです。
二番目は「わたしたちには神の家を支配する偉大な祭司がおられる」(二一)という確信です。イエスは私たちを神のもとに行くことが出来るようにされただけではなく、大祭司として私たちと神との仲介をしてくださるのです。神の前で直接執り成して下さり、弁護をして下さるのです。
この二つの確信から、私たちに次の三つを行うように勧めています。その第一は「神に近づこう」ということです。私たちは神に近づき、どんな小さなことでも神に祈り求めることができるのです。その祈りを、イエスの執り成しによって、神は耳を傾けて聴いてくださるのです。そのためには私たちも真心をもって全身で神に向かうことが必要となります。
第二は、「希望を揺るがぬようしっかり保」つことです。キリスト者の希望はこの世で終わるようなものではありません。私たちは人生においてどんな嵐に襲われようとも、必ず神のもとで平安が約束されているのです。私たちはこの希望をしっかりと握りしめましょう。
第三は、「愛と善行に励み」「集会を怠ったりしない」ことです。聖書は共に集まって礼拝することの大切さを教えています。なぜともに集まることが大切なのでしょうか。それは教会の群れの中にイエス様ご自身が存在しておられるからです。大胆に神に近づき、しっかり希望を握りしめて、共に集まって励まし合うならば、私たちはどんな困難をも乗り越える力を持つことが出来るのです。
愛澤 豊重
(菊名 2020年4月号 No.54掲載)