教会からのお知らせ

神に従いなさい ヤコブの手紙第四章 (月報『菊名』No.43より)

行いの伴った生きた信仰について語ったヤコブは、第三章では具体的な例として舌を制御することについて語りました。舌は小さな器官ですが疲れを知らない悪で、死をもたらす毒に満ちていますと言われました。それは心にあることを話すので、上から出た知恵に私たちの心が満たされなければなりません。

私たちの間で戦いや争いがあるのも同じ原因からなるのだと言っています。それは外側に原因があるのではなく、私たち人間の心の中に問題があるからだと言い、それをヤコブは「欲望」だと言っています。私たちは、欲しがっても自分のものとして手に入れられないと、人殺しをしたり、争ったり戦ったりするのです。ですから私たちは自分の心をしっかりと見張っていなければならないのです。

そのためには何をしなければならないでしょうか。ヤコブは「だから神に服従し、悪魔に反抗しなさい」と言っています。聖書協会共同訳では「ですから、神に従い、悪魔に立ち向かいなさい」と訳しています。神に従いなさいという勧告は、この段落での最初の勧告です。世の楽しみを求めるよりも神につくことを選び取るようにとヤコブは全キリスト者に勧めています。従うというのは、神の意志や神の律法に心から服従することです。それは「謙遜な者には恵みをお与えになる」と言われたように、へりくだって神に従う者に神は恵みをお与えになるのです。

そのように神に従うことは、必然的に悪魔に戦いを挑むことになります。なぜなら、私たちがへりくだって神に従おうとするとき、悪魔は多くの誘惑をもって戦いを挑んでくるからです。人を欲望のままに振り舞わせ、人を高慢な思いのままにさせておけば、その人を神から遠ざける最も効果的な方法であることを悪魔はよく知っています。悪魔はそのようにして荒野で主イエスに挑戦したのでした。その時に主は、神の御言葉をもって悪魔に立ち向かい、勝利されたのでした。私たちも同じです。悪魔はあの手この手を用いて、私たちを信仰以前の生活に引き戻そうとします。自分を高め、自分を正しいと思わせるのです。

神に従うことは当然、悪魔との激しい戦いを予期しなければならないのです。私たちはそのとき、神の助けがなければ悪魔には勝てません。だから神に近づくことが必要なのです。そのとき神は私たちに近づいてこられ、大きな恵みをもって私たちを助けてくださるのです。またたとえ神から離れてしまった時があったとしても、放蕩息子の譬えが語っているように、神に近づこうとするならば、両手を広げて立ち返る私たちを迎えて下さるのです。

 

愛澤 豊重

(菊名 2019年5月号  No.43掲載)