教会からのお知らせ

勝利の生活へ ペトロの手紙Ⅱ第二章 (月報『菊名』No.38より)

ペトロは「あなた方の中にも偽教師が現れるにちがいありません」と第二章では語り始めます。これはイスラエルの歴史上に現れてきたように、教会の中に、キリスト者の中から出てくるというのです。「彼らは、無意味な大言壮語をします。また、迷いの生活からやっと抜け出てきた人たちを、肉の欲やみだらな楽しみで誘惑するのです。」と言っています。ペトロはこの第二章で、そのような偽教師に対する非難、攻撃を容赦ない激しい言葉でしています。私たちはこの激しい言葉をどのように聞いて行ったらよいのでしょうか。この厳しい言葉は私たちとどう関係するのでしょうか。

偽教師はわたしたちを「肉の欲やみだらな楽しみで誘惑するのです」と言っていました。「肉の欲やみだらな生活」というと、何か私たちには縁遠いと思ってしまいますが、新しい翻訳の「放縦によって誘惑し」という言葉ならば、私たちとも無縁ではない感じがします。放縦とはわがまま、好き勝手という意味です。もう少し言い換えるなら、自分の思いのままに生きていくということです。

信仰を持ったと言っても、別に堅苦しい信仰生活をしなくてもよいのだと考える考え方があります。この世の人と少しも変わらないような生活を、朝はゆっくり起きて、食べたいものを食べ、好きなところに遊びに行き、日々充実した暮らしをしていたらいい、そういう誘惑におそわれます。それが放縦ではないでしょうか。そうした日々を送れば、次第に神から離れて行ってしまうし、教会生活は軽んじられるでしょう。残念なことですが、私たち人間は放縦に流されてしまう傾向がたしかにあります。美味しいものを食べて、楽しくやりたいという気持ちはみんなが持っています。私たちはそのような肉体をもってこの世に生きている人間ですが、それと戦うことなしには勝利は得られないのです。

フィギュアスケートでグランプリファイナルに優勝した紀平梨花選手が一躍有名になりましたが、彼女が優勝するに至った努力がさまざまに報じられていました。練習時間を何よりも優先して確保する、体型維持のために厳しい食事のコントロールを自分でしっかりする等、目標に向かって妥協しない信念が報じられていました。他のスポーツ選手も同様でしょう。みな勝利に向かって放縦と戦って生活をしているのです。私たちも信仰生活の勝利に向かって見習おうではありませんか。

私たちも世の中の人と変わりはありません。ただ、キリストに招かれて神の民へと取り分けられたのです。そこで神の力が与えられたのです。誘惑に打ち勝つ神の力が与えられているのです。

 

愛澤 豊重

(菊名 2018年12月号  No.38掲載)