教会からのお知らせ
神の羊の群れ ペトロの手紙Ⅰ第五章 (月報『菊名』No.36より)
青山学院の青山ビジョンは「すべての人と社会のために、未来を拓くサーバント・リーダーを育成」することを掲げています。サーバント・リーダーという言葉は、日本の社会でもとくにグローバル企業が取り入れている新しいリーダーシップ像で、日本サーバント・リーダーシップ協会という組織も作られています。サーバント・リーダーシップというのはアメリカのロバート・グリーンリーフ博士が提唱したリーダーシップ哲学で「リーダーはまず相手に奉仕し、その後相手を導くものである」という考え方に基づくものです。サーバントという言葉は使用人・召し使いを意味する言葉で、人に仕えるリーダーというリーダー像を提示していますが、もともとは聖書に由来することです。
ペトロは長老たちに「神の羊の群れを牧しなさい」と命じました。「神に従って、自ら進んで世話をしなさい」「ゆだねられている人々に対して、権威を振り回してもいけません。むしろ群れの模範になりなさい」というのです。主イエスの羊を飼う。神の羊の群れを牧する。それは主イエスを愛する者の務めです。主イエスが「わたしの羊を飼いなさい」と求めておられる言葉に従って、「あなたの聖霊の助けによって私をお用いください」と、この務めを担うことこそそ「神に従って」ということなのです。
この御言葉からはマタイ二〇章の主イエスの言葉が思い出されます。「異邦人の間では支配者たちが民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。しかし、あなたがたの間では、そうであってはならない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、皆の僕になりなさい」という言葉です。ここでは力による上からの支配によって人々を服従させるのではなく、上に立つ者が民に仕えること、皆のためにリーダーシップを持つことが言われています。自分を低くし、すべての人の僕となって皆に仕えるという意識と姿勢が「謙遜」という言葉で示されています。
謙遜が求められているのは長老ばかりではありません。「若い人たち」「皆」にも求められています。主イエスが十字架に掛かり、御自分の命によって私たちの罪を贖い、私たちを深く愛して僕として仕えて下さったように、私たちも皆、一人ひとりが主イエスに愛され、罪赦された者として謙遜な者となり、互いに愛し合い、仕え合っていくことが「わたしの羊」の姿なのです。わたしたちはこのイエス・キリストを主と仰いで、イエス・キリストに倣う者とされ、謙遜に仕え合うことが出来れば、私たちの教会も、互いに愛し合う愛に満ち溢れた「神の羊の群れ」として成長することがきっと出来るでしょう。
愛澤 豊重
(菊名 2018年10月号 No.36掲載)