教会からのお知らせ

平和を求めて、これを追え ペトロの手紙Ⅰ第三章 (月報『菊名』No.34より)

『平和を求めて、これを追え!』、聖書のこの言葉は、この世の問題の只中にある私たちに、闇に輝く光として語りかけてきます。私たちを取り巻く問題の闇というものは、事実非常に深いものです」と語り始める説教は、一九六八年三月に開かれた第三回世界キリスト者平和会議(プラハ)で行われた開会礼拝での故鈴木正久教団総会議長の説教の冒頭の言葉です。一九六八年といえばベトナム戦争のさなか、欧州ではプラハの春、チェコ事件が起こり、アメリカではキング牧師、ケネディ大統領が暗殺された年です。このような世界の状況のお中で、キリスト教の信仰とはいったい何であるのか、福音―喜ばしきおとずれとは何であるのかを問うている説教です。

この三章は、ペトロによるキリスト者の社会生活、家庭生活についての勧め、励ましの最後に、すべてのキリスト者は他者に対して愛と親切と善意をもって接しなければならないと教えているところです。そして詩編三四章一二-一六を引用してその教えを確かにしようとしています。すべての人々と共に正しく生きる、この良き事柄を私たちはどのようにしたら実現できるのか、そのことを私たちに示しています。そのなかで「平和を願って、これを追い求めよ」との言葉が語られています。この言葉で注意しなければならないことは「これを追い求めよ」という言葉です。平和が与えられているときに、私たちはただそれを受け取るだけでなく、それを追いかけるように探し出さなければならないという点です。また私たちが平和を追求しても、他人が私たちに平和を与えないという事態が起こります。それゆえに平和を求めて追及することが求められているのです。

平和は聖書の中心的な言葉です。イエス・キリストの誕生の夜「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」と歌われました。そして十字架では「実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し」「一人の新しい人に造り上げて平和を実現し」(エフェソ二章)と言われているのです。

鈴木牧師はこの説教を次の言葉で結んでいます。「私たちは、単に平和という理念を旗印として、他を批判・攻撃するというのでなく、共に生きることができる道を、誠実に、粘り強く、探ねようではありませんか。この道こそは、活きて働き給う主が私たちに恵みの賜物として許しておられるものであり、私たちをお導きになる道なのですから。それゆえ私たちは、現代の世界のこの上なく深刻な問題の中にあっても、この主を賛美し、これに感謝することができる」のです。

 

愛澤 豊重

(菊名 2018年8月号  No.34掲載)