教会からのお知らせ
神のものとなった民 ペトロの手紙1第二章 (月報『菊名』No.33より)
ペトロは私たちクリスチャンのことをこう言っています。「あなたがたは、選ばれた民、王の系統をひく祭司、聖なる国民、神のものとなった民です」。誰に言っているのでしょうか。そうです、私たちに対して言っているのです。私たちにその自覚はあるでしょうか。いやいや、私たちにはそんな大それた思いはとうていありません、という声が聞こえてまいります。
しかし主は、シナイ山でモーセに「今、もしわたしの声に聴き従い、わたしの契約を守るならば、あなたたちはすべての民の間にあって、わたしの宝となる。世界はすべてわたしのものである。あなたたちは、わたしにとって祭司の王国、聖なる国民となる」と約束されました。そして今、私たちはキリストに出会って、まったく新しくされたのです。それは御言葉に養われて、キリストを土台として、キリストの祭司となったというのです。私たちは暗闇の中から驚くべき光の中へと招き入れられ、私たちは光の子になったのです。
一七世紀のイギリスにリチャード・バクスターという牧師がおりました。一七世紀イギリスはピューリタン革命から王政復古を経て名誉革命に至る歴史を歩んでいました。その過程で、議会制民主主義の基礎、資本主義の発展が整えられ、また人権思想も確立されていきました。ピューリタニズムの精神が今日の民主主義や市場経済を生み出したと言われていますが、バクスターはその中で、よきキリスト者を育て上げることが良き教会を作り上げることと同じく、良き家庭、良き職業活動を通して、良き社会と国家の形成とつながっていくと考えていました。それですから彼の課題は「堅固なキリスト者」として信徒を成長させることが重要だと考えました。バクスターは自己の経験からキリスト者をその内的状態、成長の度合いに応じて五段階に区分しました。そして個人的な教育と指導に力を注ぎました。キリスト者といえども、一人ひとりの状態は違います。しかし、真のキリスト者として成長させることが出来たら、社会の改革につながると信じたのです。
私たちは「かつては神の民ではなかったが、今は神の民であり、」憐みを受けている」のです。そのことを「広く伝えるため」に私たちは神の民とされたのです。私たちの使命は「伝える」ことにあります。証しして下さいというと、断る人が多くいます。証しというと優れたことを言わなければならないように思う人が多いのです。それでは証ではなく自慢話になってしまいます。そうではなくて、こんな私にも神はどんなに憐れんでくださったのかを語ればいいのです。そして、この神の憐みに気づくのがクリスチャンなのです。
愛澤 豊重
(菊名 2018年7月号 No.33掲載)