教会からのお知らせ

新しく生まれる ペトロの手紙Ⅰ第一章 (月報『菊名』No.32より)

ペトロは「わたしたちは新たに生まれさせ」られた者たちだと伝えています。新たに生まれる、それは二度目の誕生です。私たちは誰でもまず誰かを親として生まれます。その上にあなたたちは選ばれて新たな二度目の誕生をしたのだと言うのです。それは父なる神の子としての誕生でした。信仰による誕生であり、信仰によって新しい人生がスタートするのです。私たちは一度目の誕生により、この世の家族としての生活を送っています。そして二度目の誕生によって、神の家族としての生活が始まるのです。「天の父よ」と祈りながら進められる生活です。

この第二の誕生は、何よりも神の豊かな憐みによってなされたものでした。第一私たちは、あなた
は神の子ですと言われても、いえいえ私なんか、と面はゆく思います。私たちは生きている間、そんなに良い人であったことも、善い行いをしていた者でもありません。洗礼を受けてからも、「我らの罪をも赦したまえ」と主の祈りを日毎に祈らなければならない者です。「神の子」と呼ばれるにはふさわしくないと認めざるを得ません。そのような私たちが神の子として生まれたというのは、神の豊かな憐みによってでしかありえません。ですから私たちは、罪の赦しを与えてくださった神の豊かな憐みを信じるほかないのです。

そしてそれは「生き生きとした希望」が与えられる誕生です。希望とは、復活のキリストによって与えられる力であり、新しく生きるという確かな望みです。人生には三つの段階があると言われます。その一つは、表面の目に見える生活です。それは多くの場合きれいごとの生活です。だから見せかけの生活と言ってもよいでしょう。その下に第二の段階があります。どのように生きたって結局どうってことはない、死んだらすべてお終い。そこには絶望と虚無があり、人間の生きる勇気をくじいてしまいます。その下にもう一つの段階があります。それは復活のイエスによって与えられた生の現実です。それは二番目の絶望を克服し、一番目の偽りの生活を真実なものに変えていく力を持っています。私たちは復活のイエスの命によって新しく生まれ、希望を持つことが出来るのです。それが第二の誕生から始まるもう一つの人生です。

しかし、ここで覚えておかなければならないことは、この新しい人生は「今しばらくの間、いろいろな試練に悩まなければならない」と言われていることです。けれどもペトロは知っているのです。そこでこそ本物は輝き出すということを。試練の中でこそ信仰はその真価を発揮するのです。試練の中において力を発揮するものを私たちは頂いているのです。

 

愛澤 豊重

(菊名 2018年6月号  No.32掲載)