教会からのお知らせ
真理に歩む ヨハネの手紙Ⅲ (月報『菊名』No.31より)
長老ヨハネからガイオに宛てられた手紙です。そのガイオに宛てて「兄弟たちが来ては、あなたが真理に歩んでいることを証ししてくれるので、わたしは非常に喜んでいます」と書き送っています。この手紙では「真理」という言葉が強調され、短い手紙の中に六回も使われています。真理とは当然イエス・キリストのことで、「真理に歩んでいる」ということは、イエス・キリストに従って歩んでいるということになります。おそらくガイオはヨハネによってキリストを信じる信仰に至った者でしょうから、自分が伝道した者が真理のうちに成長していることを見聞きすることは、大きな喜びであったでしょう。「真理に歩んでいる」というのは、単に真理に同意しているということだけではなく、実際生活でもイエス・キリストに生きているということですから。
私たちにとっての問題点は、私たちはクリスチャンとして生きているのですが、どこかでふっとこの世の子として、肉の子となることがあるということです。そのような例として、ディオトレフェスを見ることが出来ます。彼はヨハネに反対し、自分が「指導者になりたがっている」と書かれています。教会で自分が表舞台に出ないと気が済まないたちなのでしょう。自分が人々からもてはやされるとご満悦なのですが、自分に反対する者は敵だとして追い出しにかかるのです。彼の問題点は偽りの教理ではなく、行い、倫理の問題でした。
その心は私たちの内にもあるのです。自己中心性です。自分が中心でありたい、自分の思う通りにしたいと願う心を持っているのです。そしてやっかいなことには、自分ではそれに気づいておらずに振る舞ってしまうのです。イエスの弟子たちも最初はそうでした。誰が一番偉いのかと議論していたのでした(マルコ9:34)。
しかし、人間の表面上のふるまいはそこに留まるのではなく、内面の霊的状態をも表すものです。「愛する者よ、悪いことではなく、善いことを見習ってください。善を行う者は神に属する人であり、悪を行う者は、神を見たことのない人です」と言われています。私たちは真理に歩むよう気を付けたいと思います。
「イエス・キリストを信じるということは、イエス・キリストを私たちの相談相手とすることだ」と聞いたことがあります。右に行くべきか左に行くべきかというときに、イエス・キリストに相談することがクリスチャンの生活です。他の人たちはそういうイエス・キリストを知らないですから、自分の判断や思いだけでそれをやっていきます。しかし私たちはそうではなく、神に相談できるのです。それがクリスチャンの特権です。
愛澤 豊重
(菊名 2018年5月号 No.31掲載)