教会からのお知らせ
愛し合いなさい ヨハネの手紙Ⅱ(月報『菊名』No.30より)
ヨハネの手紙二は、新約聖書の中でもとりわけ短い手紙です。それですから、つい私たちは読み飛ばしていってしまいます。この短い手紙が正典として保存されてきたからには、重要でないはずがありません。この手紙は一世紀終わりごろの教会の姿を伝えています。それは、イエス・キリストの人性を否定する偽教師たちが巡回伝道師として諸教会を巡回していたことです。
この手紙で言われていることはまず、「互いに愛し合う」というヨハネの「お願い」です(五節)。そして、彼がこのような「お願い」をしなければならなくなったことは、偽教師の出現によってでした。「彼らは、イエス・キリストが肉となって来られたことを公に言い表そうとしません。こういう者は人を惑わすもの、反キリストです」(七)と書かれています。
当時の世界はギリシャの思想に満ちていました。その思想は、精神のみが善であり、物質は悪であるというグノーシスの思想の傾向にありました。彼らはキリスト者以上に霊的であったかもしれません。知識も深かったでしょう。しかし彼らはそのために虚偽に陥ってしまったのです。信仰が個人主義化され、奥義を深めはしましたが信仰共同体である教会へのかかわりが希薄になってしまいました。また信仰が観念化され、愛に生きることが軽んじられてきました。
ヨハネはそのような危険にさらされている教会に対して「互いに愛し合いなさい」と勧めています。キリスト教は抽象的な真理ではありません。宗教的悟りを修行によって得ようとするものでもありません。御子イエス・キリストによって与えられた救いを受けることです。それゆえに、私たちはキリストに結び付くことが大切なのです。私たちにとって真理とは、「わたしは道であり、真理であり、命である」と言われているイエス・キリストその人です。ですから、真理を知っている人とは、イエス・キリストを知っている人であり、イエス・キリストにおいて現された神の愛を知っている人のことです。ですから「愛とは、御父の掟に従って歩むことであり」と言ったのです。
ヨハネは愛を気持ちとか感情としてではなく、神の掟に従って歩むことだと書いています。愛というのは人間の自然的なものではなく、意志的なものなのです。それですから真実の愛は神なしには理解できないし、実際に持つことも出来ないものです。神の掟なしに愛そうとしても、それは結局自己中心的な愛になってしまうのです。イエス・キリストと結びつくことは、イエスに足を洗ってもらい罪を贖っていただくことです。それ抜きには、真実にはお互いに足を洗いあうことは出来ないのです
愛澤 豊重
(菊名 2018年4月号 No.30掲載)