教会からのお知らせ
世に打ち勝つ者 ヨハネの手紙1第五章 (月報『菊名』No.29より)
「世に打ち勝つ勝利、それはわたしたちの信仰です。」とヨハネは宣言しています。「世」は聖書では悪魔によって罪に支配された世界、闇の力で覆われた世界と表現されています。一九節では「この世全体が悪い者の支配下にあるのです。」と言っています。世界はそもそも神の創造によって造られたものでした。しかし現状は、無力になって悪魔の中に横たわっているのです。
しかし、その世界の中に「神の子が来て、真実な方を知る力を与えてくださいました。」(二〇)。それ故に私たちは、この真実な方、神の子イエス・キリストの内に居る者なのです。ですから私たちは世と隔絶した者ではありませんが、世にいて、しかし世の者ではなく、神に属する者なのです。これがキリスト者です。
「私は何者なのか」というアイデンティティーが確立できていないキリスト者は、世に負けてしまうと言われます。「世に負ける」とは、この世で成功できないとか、裕福になれないとか出世できないとかの、いわゆる勝ち組、負け組ということではありません。キリスト者としての塩味を失い、キリスト者としての光を失うことが世に負けることです。それは世の価値観、世の習慣に染まって、世に溶け込んでしまうことです。私たちは、この悪の支配下にあるこの世で地の塩、世の光としてしっかりと存在することなのです。
そのことこそ、今の時代にも求められていることではないでしょうか。そのために神はキリスト者を召し、この世に派遣してくださったのです。それがキリスト者としてのアイデンティティーです。マタイ福音書では、ペトロの信仰告白に対して主イエスは「わたしはこの岩の上にわたしの教会を立てる。陰府の力もこれに対抗できない」と言われました。イエスを主と告白する者はどのようなものにも打ち勝つことが出来ると言われているように、私たちもキリストの内にいれば、最終的には勝利を得ることが出来ると約束されているのです。
ヨハネの手紙は最後に「子たちよ、偶像を避けなさい」という言葉で結ばれています。偶像とは偽りの神です。単に手で刻んだ像だけではなく、神の立場をとる、あらゆるもののことです。それは真実な神から私たちを離れさせ、神ならぬものに私たちを従わせようとします。そしてついには神との真実な交わりを喪失してしまいます。私たちは世の何物をも神としてはなりません。どんなに信頼できそうであっても、そのようなものにひれ伏したら、神との真実な交わりは絶たれてしまいます。神との真実な交わりの中で、今日も、世に勝つ力をいただけるよう祈っていきましょう。
愛澤 豊重
(菊名 2018年2.3月号 No.29掲載)