教会からのお知らせ

神は愛である ヨハネの手紙Ⅰ第四章 (月報『菊名』No.28より)

ヨハネの手紙は「愛する者たち」という呼びかけが何度も告げられています。言葉は優しい呼びかけですが、これが使われるときには非常に重要な問題が取り扱われています。ヨハネがこの手紙を書いた直接的な事情は、偽預言者による偽りの教えが広がってきていることへの危機感からでした。その中で、キリスト者はその信仰にふさわしい姿をもって生活しなさいと教えているのです。その信仰の土台になっているのが「神は光である」ということと「神は愛である」ということでした。

このキリスト者の姿を、第四章は互いに愛し合いましょうという言葉で示しています。「愛する者たち、互いに愛し合いましょう。愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです。愛することのない者は神
を知りません。神は愛だからです」。愛は神から出ているものなのです。人から出るものではないのです。

とはいえ、私たち周りで「愛」という言葉は満ち溢れています。しかし、日本の古語では、今のような「愛」ではなく、「虫愛(め)づる姫君」のように「好む、かわいがる」と言う意味や「愛(かな)し」として「いとおしい、かわいい」という気持ちを表していました。これが明治になって西欧文明に触れてから日本社会の中に英語のLoveの概念が入って来ました。今では歌の歌詞の中に「愛」と言う言葉は不可欠にもなっています。

しかし注意しなければならないことは、「神は愛です」であっても「愛は神です」と言うことは出来ません。ギリシャ神話では愛は擬人化されて愛の神は「エロース」とか「キューピット」と呼ばれ、詩人や芸術家が愛を理想化して神に仕立て上げたりしています。それに対して新約聖書はアガペーという語が断然用いられて、エロースは用いられていません。アガペーを、神の愛とそれに基づく人間の愛や生き方を表すキリスト教用語として新約聖書は使っているのです。

エロースの愛は「あなたがこれこれであるが故に、あなたを愛する」という愛であると説明されます。「これこれ」という所に、「あなたが美人だから」とか「才能があるから」というように、価値のあるものに惹かれ、自分のものにしたいから愛するという愛です。それは相手から奪う愛であり、移ろいやすい愛です。これに対してアガペーの愛は「あなたがあるが故に、あなたを愛する」という愛であります。相手が美しいか、頭がいいかとは関係なしに、あなたが存在するからあなたを愛するという愛です。相手と共に生きる愛です。主イエスが示しているのはこの愛です。私たちのために命を捨てるほどに愛されたのですから、私たちも互いに愛し合うべきなのです。

 

愛澤 豊重

(菊名 2018年1月号  No.28掲載)