教会からのお知らせ

今既に神の子 ヨハネの手紙Ⅰ第三章 (月報『菊名』No.27より)

三章は二章二八節より続いています。その冒頭の言葉は「さて、子たちよ、御子の内にいつもとどまりなさい」という言葉でした。この言葉は大切なことを示しています。なぜなら、そのことによって私たちは神の子とされており、「愛する者たち、わたしたちは今既に神の子です」という言葉を聞くことが出来るのです。

私たちは自分が神の子であるということの実感があるでしょうか。そうは言われても、自分には苦しみや不安があり、欲望にも負けやすい、そんな自分が神の子であると言われても戸惑うばかり、としか言いようがない思いがします。

でも聖書は、あなたがたはキリストの内にとどまっている限り神の子となっているのだから、いまさら動揺したり、不安に駆られる必要はないのだ、自信をもって神の子の道をまっすぐに歩めばよいのだと励ましております。信仰に入る者が、すべて劇的な回心体験を持つわけではありません。私たちの人生はそんなに単純なものではないからです。私たちの持っている罪はそれほどに深いのです。大事なことは、そのような私が、イエス・キリストの内に洗礼によって入れられ、そこにとどまっている限り、神の力によって御子に似た者とならせていただけるのだと、ひたすら信頼していることなのです。ですから「自分がどのようになるかは、まだ示されていません。しかし、御子が現れるとき、御子に似た者となるということを知っています。」と言っているのです。

そのように確信を持って言えるのは、神が愛だからです。私たちは今、クリスマスの時を迎えています。クリスマスを祝い、イエスの誕生を祝うのは、神の愛が具体的に、現実に私たちの中に現れたことを祝うのです。その愛は、私たち人間を救わなければという神の強い決意でした。そのためご自分の子をこの地上に送り、救いの御子とされたのでした。私たちはその御子イエス・キリストの救いを信じるだけで、神の内に生きることが出来るようにされているのです。その「御父がどれほど私たちを愛してくださるか」を知ることこそが私たちの救いの根拠なのです。

私たちは今やもう神の子なのです。その内にとどまり続けることが何より大切なことです。とどまり続けることで、特別な努力なく、自覚なくして私たちは成長するのです。鳥が大空を飛ぶことも、魚が水中を泳ぐのも、格別な意識を必要としません。しかし、その中を飛び、泳いでいることによって成長します。私たちも、キリストと結びついて神の中を生きていることによって、神の子としての本質は成長し、私たちの愛は全うされ、私たちの命として永遠の命が与えられるのです。

 

愛澤 豊重

(菊名 2017年12月号  No.27掲載)