教会からのお知らせ

神は光である ヨハネの手紙Ⅰ第一章 (月報『菊名』No.25より)

「神は光である」と言っています。「光」とはなんと素晴らしい響きを持つ言葉でしょうか。自然的には、光はすべてのものを暗黒から解放します。また光は、すべてのものに命と健康を与える源です。象徴的には光は真理を現します。朝の光は、私たちの気持を新たにさせます。朝起きるとまずカーテンを開き、部屋中に朝の光をいっぱいにしますという方は多いでしょう。ドイツの文豪ゲーテは、死の夕闇の迫りを感じた時、「もっと光を」と命じて戸を開けさせたという話が伝わっています。

創造の第一歩は「光あれ」という言葉で始まりました。しかしそれは、神が光を創造されたということではありません。なぜならば神が光であるからです。光は神の本質なのです。ですから「光あれ」と
いうのは、その本質を被造世界に向けて発出する神の意思決定なのです。万物を創り、万物に命を与え、万物にその行くべき道を教える光なのです。「神は光であり、神には闇が全くない」ということは、この創造された世界のすべてのものを照らし、慰め、歩む道を命に向かわせるということを示しています。それが神の義であり神の愛です。

そのように光は私たちをくまなく照らします。しかし私たちが光の中を歩みなさいと言われると、躊躇するのではないでしょうか。私たち人間は誰でも秘密を持っています。他人に見られたくない、他人に知られたくない、そのような思いを持っていない人はいないのではないでしょうか。私たちは、自分の心の闇はそっとしておいてほしいのです。そのような私たちに対して光の中を歩みなさいというのは、隠していることを明るみにさらけ出しなさいということなのです。私たちはこれに耐え得るでしょうか。

しかし、光にはもう一つの面があります。光は暗闇に隠れようとする私たちの心にとって審判ですが、同時に私たちを暖め、晴れやかに包み込んでくれる力を持っているのです。私たちは光に満ち溢れた自分に憧れます。自分に暗く隠したいことのあることに気づきながらも、躊躇しながらであっても、光の中に飛び込みたいという思いがあるのです。神はそのような人間を、自ら捕らえて光の中に引き入れてくださるのです。私を光の中に引き入れてくださるのです。

光の中を歩めというのは、光の歩みをしなさいという命令ではありません。何よりもまず光の中にいなさいということなのです。そして光の中を歩むことによって、私たちは初めて真実の自分を知ることが出来るのです。そして初めて、自分の罪を言い表すことが出来るのです。そのとき神は、罪を赦し、あらゆる不義からわたしたちを清めてくださるのです。

 

愛澤 豊重

(菊名 2017年10月号  No.25掲載)