教会からのお知らせ
キリストに守られている ユダの手紙 (月報『菊名』No.24より)
ユダの手紙についてカルヴァンは次のように言っています。「この書簡について、むかしのひとびとのあいだには、いろいろな意見が出されているけれども、しかし、この書簡を読むことはきわめて有益であり、そのうえ、使徒の純粋な教えにそぐわないようなものは、ここにはなにひとつ含まれていない」「われわれはユダの時代に有益であった勧告が現在もなお必要以上に大切であることがわかるのである」
そのようにユダの手紙は、教会の中に紛れ込んできた偽教師が、信徒の信仰生活に入り込み、秩序をかく乱していることを非難し、信仰者に使徒的な正統信仰を守ることを力強く勧めています。この手紙を書いたユダは、「ヤコブの兄弟であるユダ」と記しています。ヤコブはエルサレム教会の指導者であった主の兄弟ヤコブと思われます。そうするとユダも主イエスの兄弟だということになります。ですから、この手紙を受け取った人々の間でよく知られていました。そのユダが、教会の中に紛れ込んできた偽教師への注意を促し、福音にしっかりと立ち続けるようにと若い信徒たちを励ましています。
偽教師を「ある者たち」「不信心な者たち」「夢想家たち」と呼び、彼らについては「神の恵みをみだらな楽しみに変え」「わたしたちの主であるイエス・キリストを否定」していると指摘しています。自分たちは神の恵みにあずかっているのであるからから何をしてもよいという考え方、権威を認めようとせず、栄光ある者たちをあざけるのですと、彼らの行為を糾弾しています。
そのような者たちは裁かれると断罪した後で、信徒たちを励まします。そして自分について信仰の確信をもって生活しなさいと勧めています。あなたたちについて「イエス・キリストに守られている」(一)、「神の愛によって自分を守り」(二一)、「あなたがたを罪に陥らないように守り(二四)と、守られているのだという言葉を繰り返して語っています。
私たちは守られているのです。これがキリストを信じる者の本来的な姿なのです。牧師の面談では、洗礼を受けたならどうなるのでしょうかとよく聞かれます。すべてのことがうまく行って、素晴らしい生活を送れるようになります、とは答えられません。それでも、さまざまな誘惑やつまずきからは守られますよということが出来ます。私たちはイエス・キリストの守りの中に置かれるのです。大きな試練はこれからも起こって来るでしょう。しかし私たちはそれに打ち倒されないのです。信仰の生活とは、イエスの守りの中に置かれていることを感謝する生活です。
愛澤 豊重
(菊名 2017年9月号 No.24掲載)