教会からのお知らせ

喜びの言葉 ヨハネの黙示録第二二章 (月報『菊名』No.23より)

新しいエルサレムで、ヨハネはいのちの水の川を天使から見せられました。その川は神と子羊の玉座から流れ来ているもので、すべての者がこのいのちの川の水によって潤されているのです。その川の両岸には命の木があり、その木の葉は諸国の民の病を治します。諸国の民、その人たちはバビロンによって傷ついた人たちでした。しかし今、その人たちすべてが癒され、命を与えられているのです。この喜びが必ず実現すると約束されているのです。新しいエルサレムでは、不安ではなく平安が、暗い恐れではなく明るい光の喜びが、死ではなく命が支配してます。

ヨハネは「これらの言葉は、信頼でき、また真実である」ことを天使によって伝えられています。今までヨハネが見てきた幻・・世の終わり、神への敵対者は破滅し、義人は祝福されて新しいエルサレムに住むという幻は、現実にはありそうにない幻想ではなく、これは真にありうることであり、必ず実現するのだと確約されているのです。

また「これに付け加える者があれば」「この預言の書の言葉から何か取り去る者があれば」と厳しい注意の言葉も記されています。黙示録に限らず聖書の他の個所に対しても、しばしば自分なりの解釈をして、神の御心から遠のく人々がいます。また、聖書の言葉を適当に抽出して自分の主張を支える言葉として使ったりしています。しかし、聖書の言葉は神の言葉として一貫して変わることのない普遍性と妥当性を持っているものなのです。私たちキリスト者は、ただひたすら神の言葉を信じるとき、救いに至るのです。この道だけが天国の門に通じているのです。

そして主イエスは「見よ、わたしはすぐに来る。わたしは、報いを携えて来て、それぞれの行いに応じて報いる。わたしはアルファであり、オメガである。最初の者にして、最後の者。初めであり、終りである。」と宣言されます。黙示録の第一章で、イエス・キリストは「今おられ、かつておられ、やがて来られる方」(四)として示され、「アルファであり、オメガである」(八)と言われ、「その方が雲に乗って来られる」(七)とも言われていました。その方が今、「すぐに来る」と言われたのです。ここでは、その時の切迫性が説かれています。私たちは聖書の言葉を、時間がないとか、用事があるからということで、つい後回しにすることを当然のようにしています。しかし、み言葉を確信することも緊急事態なのです。私たちキリスト者の願いは二〇章一二節に記されていた「命の書」に名が書き記されることです。そのためには、ただ神の栄光を求め、主を仰ぐ者とならなければならないのです。私たちのところに、イエス・キリストは来られるのです。

 

愛澤 豊重

(菊名 2017年8月号  No.23掲載)