教会からのお知らせ
アーメン・ハレルヤ ヨハネの黙示録第十九章(月報『菊名』No.20より)
一八章でバビロンの滅亡が告げられ、一九章に入るやハレルヤの声が天に鳴り響きます。「ハレルヤ」とは「主を賛美せよ」という意味のヘブル語です。三度ハレルヤを繰り返し、天にある大群衆が高らかに讃美の声をあげるのです。そして二十四人の長老と四つの生き物とは「アーメン、ハレルヤ」と神を礼拝して言います。二十四長老とは旧約の十二部族、新約の十二使徒を合わせた二十四長老として全教会を、四つの生き物とは全被造物を代表しています。天上で高らかな讃美の大合唱がなされているのをヨハネは聞いたのです。
ではなぜハレルヤなのでしょうか。まず第一に「その裁きは真実で正しいからである」と言われます。十八章での大バビロンへの審判を受けてハレルヤと歌っているのです。神は審判の神なのです。神が裁かれるということを聞くと、私たちは引いてしまいます。日ごろ神に願うことばかりしている私たちは、神さまは恵みを与える方であると思い込み、裁かれることなど考えもしません。しかし天の声は、審判ゆえにハレルヤを歌うのです。裁くからこそ神であられ、正義という神の本質は現れると歌います。
次に「大淫婦が焼かれる煙は、世々限りなく立ち上る」からハレルヤなのだと。その煙は不信仰、反キリストの滅びのシンボルでした。その仲間は悪の何たるか、罪の何たるかを見つめさせられるのです。世々限りなくとは、一時的な罰ということでは済まされないのです。この滅亡の煙は、それまで彼女に迫害され、殉教者を生み続けてきた教会にとっては、その悲しみが終わったということの喜ばしいしるしでした。反教会の側から言えば恐怖のしるしであり、教会の側からは解放のしるしでした。
五節では「すべて神の僕たちよ」との玉座からの声が聴かれます。おそらく呼びかけられているのは、今なお地上にあって戦っている聖徒たち、私たちでしょう。傷つき、疲れている者たちも、心おきなく主にある勝利を賛美せよとの声でした。そして天の大群衆は「私たちの神である主が王となられた」と告げるのです。そして「わたしたちは喜び、大いに喜び、神の栄光をたたえようと」明るく呼びかけられるのです。「小羊の婚礼の日が来て、花嫁は用意を整えた」と。
この花嫁とは教会です。この頃教会は嵐の中にありました。ヨハネ自身、孤島に島流しにあっていたのです。教会は傷ついていたのです。しかしここでは教会は、用意を整えられた花嫁姿だったのです。婚礼の日が来て、とは用意が整えられた花嫁を花婿が迎えに来るときです。そして天使は「小羊の婚宴に招かれている者たちは幸いだ」と告げるのです。私たちクリスチャンは、この小羊の婚宴に招かれているのです。花嫁である教会につながっている私たちは婚宴の招待状をいただけるのです。
愛澤 豊重
(菊名 2017年5月号 No.20掲載)