教会からのお知らせ

バビロンの滅亡 ヨハネの黙示録第十七章(月報『菊名』No.19より)

七つの鉢の災いの最後の所(一六:一九)で、大バビロンの滅亡が伝えられました。そしてそれが、どのようになったかの詳細な報告がここで始まります。大バビロンという名の大淫婦、それは明らかにローマを指しています。やがて来るべき新しいエルサレムの出現(二一章)は、古いバビロン(ローマ)の滅亡と対となって出てくることですから。裁きの鉢を空にした天使の一人が、幻を見て呆然としているヨハネのもとに来て「大淫婦に対する裁きを見せよう」、バビロンの滅亡する様をとくと見定めなさいと語りかけました。
 この大淫婦は、赤い獣にまたがっていました。赤は、清さを表す白と対立的に、罪を象徴する色です。しかもその獣は、全身いたるところに神を冒涜する名前が記され、力と権威の象徴である七つの頭と十本の角を持っていました。この



獣の支配は地上全体にわたっていたのです。この女も贅沢に身を飾りたて、忌むべきものと不浄なものに満ちた金の盃を持っていました。ローマ皇帝は権勢を誇り、自ら聖なる主と言わせ、ローマの七つの丘を支配し、十人の属領の王の上に立っていました。それがどんなに力を誇り、勢力があったとしても、しかしヨハネが見るその姿は神を冒涜する奇怪な姿でしかありませんでした。
 この王たちは獣とともに小羊に戦いを挑みますが、小羊こそ主の主、王の王ですから彼らを打ち破ります。小羊と共にいる者たちも勝利を収めるのです。

 ヨハネの時代はローマ帝国が最盛期を迎えていた時代でした。ローマは世界の中心であり、皇帝は強力な権威と力を持っていました。たいていの者はその前に立つと、とても太刀打ちできない、しようがないと思ってしまいます。しかしヨハネはその実態を見たのです。それは神の前では大淫婦でしかないし、やがて滅ぼされていくものであるということを見たのです。
 今日の時代でも、金と権力をもって我が物顔に生きている人はいます。しかし、神の前にどのような生活をしているかがその人を決定します。今、どんなに富を誇り、どんなに力を持っていようとも、その人が神の前に正しい生活をしないならば、それはローマ帝国と同じです。私たちは、今、を見て物事を判断し、それが全てであるかのように思ってしまいます。しかし、荒れ野でヨハネが見た視点は違います。それが神の前にどうか、そして神の裁きがどうかという視点です。
 ローマ・バビロンの終わりは近いと言います。私たちは今それを思います。私たちが滅ぼすものは何なのか、真に待ち受けなければならないものは何なのか。

 

愛澤 豊重

(菊名 2017年4月号  No.19掲載)