教会からのお知らせ

それでも神は  ヨハネの黙示録第一三章

 一二章では天上で竜とミカエルが戦い、敗北した竜が天から投げ落とされました。その結果として、地上では迫害が起こります。一三章では二頭の獣が登場します。竜は直接に迫害には関わらず、第一の獣に自分の力と権威を与えて迫害を行わせます。十角七頭の海から出てきた怪獣、豹に似て熊の足を持ち、獅子の口を持つ怪獣が脅威をもって教会の前に立ちはだかります。その怪獣の一睨みはどれほど教会を震え上がらせたことでしょうか。ダニエル書第七章に出てくる獣がひとまとめになって出てきているということを、聖書をよく知っていた読者は分かったことだろうと思います。それですから読者には、この怪獣がどんなに力強く見えても、それは一時的なもので、やがて滅ぼされてしまうだろうということも分かったに違いありません。

 三節に「この獣の頭の一つが傷つけられて、死んだと思われたが、この致命的な傷も治ってしまった」というのですが、これは暴君と言われた皇帝ネロの再来への期待が込められていると言われます。ネロの死後も、ネロは死に切らなかった、東に身を隠していて、やがて再来するのだという噂が広まっていたのです。そしてそれ以上にその獣を拝む、つまり皇帝礼拝が始まるとされています。

 この獣は「大言と冒涜の言葉を吐く口が与えられ、四十二か月の間、活動する権威が与えられた」のです。誰に与えられたのでしょうか。それは神です。神を冒涜し、聖徒たちに対して勝つことも、許可したのは神なのだということです。現実にこの獣によって、ローマ皇帝によって、信徒たちは散々痛めつけられている。それを可能にしたのは竜ではなく、実は神御自身なのだということです。逆に言うと、信徒にとってはそういう厳しい現実も、神から見放されてしまったのではなく、最終的には神の支配のもとで行われていることなのだということです。ですから、信徒にとってはそういう厳しい現実であっても、それを絶望的に思う必要はないのだということが伝えられています。しかもそれは四十二か月の間なのだ。三年半たてば獣は抹殺されるのであり、限りがあるのです。ですからここに「聖なる者たちの忍耐と信仰が必要である」との聖徒としての心構えを促しているのです。

 それでも信徒にとっては迫害によって死が迫ってきています。死ななければならないという運命に直面しているかもしれない。しかし、それは決して無駄ではない。そのことを通して、あなた方は「屠られた小羊の命の書」に名前が記されているのだと呼びかけられているのです。どんな時にあっても神は共にいて下さるのです。

 

愛澤 豊重

(菊名 2016年12月号  No.15掲載)