教会からのお知らせ

封じられた言葉 ヨハネの黙示録第一〇章

 第六のラッパの災害は終わりました。三分の一を滅ぼされながら、残った三分の二の人間はなお偶像を拝みつづけ、殺人、まじない等の悪行を悔い改めることなく続けていました。そして一〇章に入ります。ここでヨハネは、七人の天使たちとは別の「もう一人の力強い天使」を見ました。「頭には虹をいただき、顔は太陽のようで、足は火の柱のようであり、手には開いた小さな巻物を持っていた。」この天使の表現は、神の顕現に際してよく用いられる聖書的表現です。太陽のように輝いている顔は、罪人には正視できないもの、火の柱のような足は滅びの民を焼き尽くすかのようです。そしてその右足で海を、左足で地を踏まえていることは、その審判が全地球にわたる世界的審判であることを物語っているようです。

 この天使が大声で叫んだとき、雷鳴が響き渡りました。七つの雷がそれぞれに語ったのです。それまで「書き留めよ」「書き送れ」(一章二章参照)と命じられてきたヨハネは早速筆を執ろうとしました。しかし天の声は「書き留めてはいけない」「秘めておけ」と命じられました。この啓示の内容はヨハネ一人には知らされても、他の人には封じられたのでした。神はすべてを啓示されようとします。けれども人は、全ての人が全てを知るべきとはならないのです。ある人には知らされても、他に人の知るべきではないことだってあるのです。神と同等ではないのです。

 天使は「もはや時がない」と告げます。最後の第七のラッパがなるときには神の予言通りの事柄が起こるのだと告げられます。それは「預言者たちに良い知らせとして告げられたとおり」だと言います。ですからそれは、信徒たちにとっては慰めの言葉であるます。永遠の祝福の到来の時だからです。もっともそれは、手放しで喜べる慰めの言葉ではありません。最終的な救いが近づいたということは、今後しばらくの間より苦しい事態を迎えることの告知でもあるからです。今は混乱し、苦しみがいや増すばかりで、神の正義はどこにあるのかと絶望的な思いに満たされるが、しかし、目に見える現象の背後に着々と進められている神の御手を見抜いて待てと言うのです。

 矢内原忠雄黙示録講義一〇章の終わりにこう書いてありました。「神の黙示の展開を見るの特権を与えられた者は、単なる傍観者たるを許されない。我ら各自が御使いより小さき巻物を受けて食ひ尽さねばならない。口には甘けれど腹には苦きこの巻物を食ひ尽して死の海を渡る者のみ、能く栄光のキリストのもとに到り、世々の予言者たちに啓示せられたる神の国の奥義の成就に身を以って参加するの光栄を許されるのである。」

 

愛澤 豊重

(菊名 2016年9月号  No.12掲載)