教会からのお知らせ

あなたの栄冠を ヨハネの黙示録第三章②

 第六の教会、フィラデルフィアにある教会に宛てて手紙を書きます。フィラデルフィアは第五の教会サルディスからは南東に約四五キロほどの所にありました。フィラデルフィア(兄弟愛)と命名された町、付近はブドウ栽培に適した土壌が広がり、ブドウ畑に囲まれた農村小都市、そこにフィラデルフィア教会は建っていたのです。「あなたは力が弱かったが」と言われていることは、町の規模に応じるように小教会であったことがうかがわれます。

 けれども教会は「わたしの言葉を守り、わたしの名を知らないと言わなかった」と言われています。フィラデルフィア教会は非力であり、微力でありました。しかし無力ではなかったのです。微力ではあっても力を尽くしたのです。自分たちの弱さを知りながら、ペトロのように「イエスを知らない」などと言わず。ただイエスに信頼して忍耐しました。そのことは「わたしはあなたの行いを知っている」とイエスから称賛されたことでした。

 弱さゆえの不安や恐れ、社会からの圧力にくじけそうになる思い、そういう苦しみ忍耐を「わたしはよく知っている」と言われているのです。不安や恐れは誰からも知られることはありません。だけれども、主イエスは知っておられるのです。このことは私たちへの大きな励ましなのです。

 「それゆえ、地上に住む人々を試すため全世界に来ようとしている試練の時に、わたしもあなたを守ろう」と約束してくださいます。ここではユダヤ人からの迫害が言われていますが、これはこのこと、この時代だけに特有のものではありません。この世界には常に理不尽な迫害、まわりからの白眼視、意地悪があります。しかしフィラデルフィア教会の、そして私たちの、御言葉を守り抜く忍耐に対して、天から「わたしもあなたがたを守ろう」という約束が響きわたります。そして「わたしは、すぐに来る」と励ましてくれているのです。

 地上の教会は現実には美点もあれば欠点もあります。これまでに手紙を書き送ったエフェソ、ペルガモン、ティアティラ、サルディスの教会でも一つひとつに美点と共に欠点を指摘して指導と勧告がなされてきました。それぞれの教会は皆キリストを土台として建てられたものです。しかしそれでもしっかりとした建材で建てられている部分があると思えば、ベニヤ板でごまかしている部分もあるという状況です。けれども、フィラデルフィア教会は最後の最後まで欠点をあげられませんでした。称賛の言葉が伝えられているばかりです。それは私たちに、主が何を期待しておられるのかを示されているようです。「耳のある者は、御霊が諸教会に告げることを聞くがよい」

 

愛澤 豊重

(菊名 2016年1月号  No.4掲載)