牧師室より

祈る時には(週報2015年8月16日・23日掲載分)

祈るのは苦手だとか、祈る時には緊張して、と言われる方がおられます。また、堂々たる祈りをよどみなく祈られている言葉を聞くと、あのような祈りは自分に はできないと羨ましく思ったりもします。実は私もそうです。友人の牧師がすばらしく祈っている言葉を聞いて、あんなになりたいなといつも自分を情けなく 思っています。
 でもこう思います。祈りは立派で雄弁でなくてもいいのです。特別な祈りのための用語を用いなくてもいいのです。考えながら、普通の言葉で、ただ神さまだけを見つめて祈ればよいのです。
 祈りの型には決まったものはありません。最初に神さまへの呼びかけの言葉があり、最後に「イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン」という締 め括りの言葉があれば、それ以外は自由です。ありのままの思いを祈ればよいのです。「あなた方の父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存知なの だ」(マタイ6:8)と言われています。神さまは、私たちの全てをご存じなのです。でしたら、隠し事や飾り立てることは必要ありません。祈りは神さまの御 前にありのままの姿で立つ行為なのです。
 とにかく祈りましょう。神さまの御前に立ちましょう。

 ありのままに祈るって、そうは言っても、だらだらと祈ることはいけないし、何を祈ればいいのですかと思われる人もいます。たしかに、一人での密室の祈り の時には、心に思うことを次々と祈ることができます。けれども祈祷会や礼拝での祈りなどの場合には、一点ないし数点を簡潔に祈ること、そして会衆を代表し て祈ることが求められています。
 けれども、それも一人で祈ることが土台になっています。心の中の思いが言葉となって出てきます。
 お祈りというと、神さまへの願いごとがあります。「わたしの名によって願うことは、何でもかなえてあげよう」(ヨハネ14:13)と言われていますから、神さまに私たちが願うことは自然のことです。その願いは感謝に結びつきます。
 感謝の思いを祈るときは、何をどのように感謝、具体的に祈ってください。そうでないと、感謝が口先だけのことになってしまいます。
 以前、祈祷会で「報告の祈り」をする人がいました。「明日、・・さんと会う予定があります。どうぞ無事に行くことができますように」「今日仕事に行くこ とが出来ました」等々の神さまへの報告です。祈祷会での祈りとしてはどうかと思いますが、個人の祈りとしては生活を祈りの中におくことで有意義な祈りだと 思います。その日のことを自分のしたことや考えたことを神さまに報告するのです。報告関係は信頼関係を生み出します。きっと恵まれることと思います。
 先輩牧師に言われました。「こんなことを報告したらきっと神さまに叱られると思っています。たしかに叱られるかもしれませんが、正直にありのままを報告する。そのことを神さまは喜ばれる。」

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