牧師室より

待ち望む(週報2015年11月29日掲載分)

待降節とは、ひとつの光だと言われています。ひとつの遠く離れたかすかな光、夕やみの中に輝くほのかな星のようです。そして私たちはその光を最初に一本の蝋燭に受け、それから二本、三本、四本と灯をともして行きます。最後は飼葉桶の中に横たえられた幼な児のところまで届いていきます。光の到来、ひとりの幼な児の到来です。それが待降節です。

 私たちが光をともすことに重大な意味があるわけではないのです。今の時代には電灯がまばゆいばかりについています。最近では街々に、家々にこの時期になるとイルミネーションが飾られています。

 大切なことは、小さな光の輝きが次第に大きくなり、近づいてきて、家全体に光が満ちあふれるまで、私たちが耳を傾け始めるということにあるのです。待降節の光とは照明のことを言っているのではありません。「私は世の光である。」と、御自身で言われたお方のことを言っているのです。その方は、私たちの心の闇に光をともし、その光は生活に温かみを与えるのです。その光の中に生きている人は、神の愛の中にとどまる人です。これがクリスマスなのです。そして、待降節とは、このみ言葉への希望と期待なのです。

牧師室より 一覧ページへ